muscle_nabe’s blog

奈良と鍋を愛するマッスル鍋の公式ブログです。

日本一の翌日に

眠れないまま夜が明けて、泣き腫らした瞳のまんま出社して、いつものように1週間が始まりました。

けれども電話の相手がみんな「おめでとう」と祝ってくれる。新年でもないのに……。人生で全く体験したことのない感覚で、SFの世界にいるような、そんな1日でした。

阪神が日本一になるような日が、生きているうちに来てしまったことに、いまだに首を傾げたくなる気持ちがかすかに残っています。6点をリードしてもなお9回の裏、シェルドンが出しゃばって3つ目のアウトを取る瞬間まで勝利を信じなかった虎党は、今日話を聞いた人のうちの全員にあたりました。

現在の虎党はおもに、全く勝てる気がしなかった暗黒期からのファンと、いいとこまで行くけど最後は絶対ダメな時代からのファンに分けられます。

つまり基本ダメです。それでもなんで応援するのかは、チーム自体も他の虎党も、アホがつくほど単純だからにほかなりません。

阪神はズルができないのです。まじめにやろうとしかできない。けれども他はときに世論操作レベルのズルを仕掛けてきます。それは決して悪いことではなくて、勝負の世界なのでそれぐらいやって当たり前なのです。けれども虎ちゃんチームはどうしてもそれができずに、負けては自分たちを責めてばっかりいました。ファンもファンで、負けを笑いに昇華して、よそから笑われることで逆に正気を保つことに必死でした。

それを乗り越えて今年、実力だけで頂点に立ったというのは、チームからのひとつのメッセージではないかと思っています。クソ真面目に向き合ってもなお結果が出ず、むしろ馬鹿にされている人への、あまりにも強力なエールと受け止めています。

今季のタイガースは、表立って活躍の場を与えられず、成績もそれほど良くなかった選手が、腐らずにキャラクターで場を盛り上げることもありました。それがチームに何を及ぼしたかというのは、5日に監督がお立ち台で語った「みんなが役割を果たしてこの結果になった」の一言に集約されるでしょう。

去年、旧統一教会の問題に絡めて虎党が投稿した「僕がハマったカルト宗教の特徴」という、阪神球団とそのファンを表したテキストの最後に、こんな一文がありました。

" いつか報われる日が来ると信じている "

こんな自分にもきちんと役割はあって、すぐ結果につながらずともその時が来ると信じ続けること。つくづく、応援している方が実は応援されてもいるのだなと感じるのでした。筆者は別にスピってません。1日経って、ようやく感極まっての乱文でした。