推しは推せるときに推せ、という言葉が、年々その重みを増してきているように感じられます。暮れゆく今年も、さまざまなジャンルで大きな絶望を味わった方々がたくさんいたと聞きます。
レトロなお風呂屋さんが推しの対象という、きわめて特異で健康的な趣味の者としては「いま行くか、一生悔やむか」がすべてです。今年は特に多くの尊い浴場がのれんを下ろしてしまいました。でも明るい話題だってたくさんあります。来年は推すものがないという事態にならぬよう願いながら、この1年で訪れてよかったお風呂屋さんを振り返ってみます。
1.宝湯(奈良県御所市)
五條の栄湯さんを失って3ヵ月。まさかの隣町で、廃業銭湯が奇跡の復活を遂げました。これは今年一番めでたいです。
綺麗でコンパクトで、古くからの設備が大事にされていて、これは流行りそうな予感。しかも奥にサウナが増築してあり、都会だと数千円はかかるというフィンランド式のサウナが、ここでは千円もいきません。テレビもBGMもなく、照明を控えめにした空間で、瞑想にふけるようにしながら時間が過ぎていきます。
外気浴スペースもあります。黒い天井やと思ってたらお星さまが見えました。女湯のスペースも特別に見せてもらいましたが、植栽があってまた違う雰囲気が出ています。こだわりが細かいなあ。
初めて来たときはもう閉店も近い時間でしたが、若い客が何人もいました。21時台の御所の旧市街地とは思えない光景でした。大将はマッスル・コミッショナーと同い年らしいです。これからも、奈良の田舎でもやれんねんぞという姿を見せていってほしい。長ーくずーっと応援したい銭湯です。
2.稲荷湯(東京都北区)
ここはテルマエ・ロマエのロケ地としてあまりにも有名ですが、この1、2年ほどは大きな動きがありました。「危機遺産」に指定されたことで、存続のための大きな支援が寄せられたのです。その一環で6月、隣接地に「長屋」がオープンしました。
長屋はもともと敷地内に残存していたようなのですが、またたまらない渋さなんですよねえ。しかもここで風呂上がりのビールが提供されるという、あまりにも完璧な銭湯リノベ例をやってくれましたあっぱれ。
プレオープンのときは、朝風呂の特別営業からの長屋で朝ごはん提供という、ぜいたくな計らいがありました。ものすごい人数が滝野川の路地に集っていて、レトロ銭湯の求心力を強く実感したものです。
「でも東京だからできたんでしょ」という声に対しては、個人的には違うと思っています。
3.ぬる湯旅館(福島県三春町)
いわゆる「泊まれる銭湯」で、旅館業が主体ではありますが、浴場組合にも入っているようで、お風呂のみの利用もできるところ。
この夏、宿泊で利用してみました。お宿はとても綺麗で明るい、現代の佇まい。しかしこの後、お風呂へのアプローチで心を鷲掴みにされたのでした。
階段の途中にある意味ありげな扉を開けると…。
今は基本的に使われていない、戦前からの旧館が出現!ここを通り抜けていきます。
味のある階段を下りて右へ折れると、どーんと煉瓦造りのお風呂場が!
旧館とお風呂場の間は土間になっていて(画像真ん中)、土間の先は色ガラスの扉が美しいお風呂場用の玄関(画像右)につながっていました。ここで宿泊客とお風呂だけの客の動線が合流するわけです。この通路が好きで、日が暮れてからも通ったり眺めたりしていました。
外観も素敵。ぱかっと屋根の開く模型で再現してみたくなるような、わくわくする構造でした。
4.松の湯(千葉県東金市)
銚子、佐原、勝浦、そして東金。千葉県で「松の湯」との屋号がつくところはみんな味があります。
入口からもうそのあたたかな空気は十分に漂っていました。明かりは控えめで、浴槽はきわめて静寂。そうです、機械が回っていないのです。千葉にもあったんだと思いました。外からはこおろぎの声だけが聞こえてきます。大分麦焼酎のCMが好きな人は分かるはずです、この胸がきゅってなるのに心地いい感じを!
風呂を上がると、女湯側は消灯されていました。いよいよ商売にならないよとボヤく大将は今年で87歳。息子さんは気にかけて毎週のように来てくださるようですが「今の客数じゃ継がせられないかな」と。
ちなみにこの時、脱衣所のテレビは偶然にも梅湯を再建した湊さんのドキュメンタリを映していました。大将はしばらく見ていましたが、途中で電源を切ってしまいました。
具体的な行動に出られなくとも、そんな大将に寄り添ってくれる人がもう少しいればいいなと思います。
それは助けたいだとか、守りたいだとか、そういう大げさな装いじゃなくてもいいのです。ふらっと現れて、ここいいですね、また来ますねと言うだけでも、やりがいを支える存在になれるはずです。その存在がもっと広がってたくさんになれば、どうにかなる可能性はまだまだあると思います。
来年は生田斗真・橋本環奈ほか主演の映画『湯道』が公開になります。サ道から湯道へ。橋環から銭湯へ。少しでもこのジャンルにファンが増えて、今にも心が折れそうなお風呂屋さんに、お湯よりもあたたかなエールが届きますように!良いお年を!!
(浴室内の写真撮影は許可を得ています)